急激に冬がやってきましたね〜!
春、梅雨梅雨梅雨、夏、秋雨秋雨秋雨、冬冬冬という印象です。
皆さま、いかがお過ごしですか?
私は凍えながらも全力で活動しております。
さて、今回も2015年に私が参加した、女性クラウン(道化師)の国際シアターフェスティバルについてお話ししてまいります。
ごゆっくりお楽しみください。
それぞれの作品と信念で圧倒的なパフォーマンスを魅せる女性クラウンたち
初日のオープニングナイトショーから大盛り上がりでスタートしたフェスティバル。
翌日からは、それぞれの演目がフルで上演されました。
劇場は連日大入り満員!
その中でも、日本から来た私のショーは最も早くソールドアウトしたそうです。
なんとありがたいこと!
イタリアから来たクラウディアというクラウンは、かのアンネ・フランクを題材とした演目を上演しました。
オーストリアはヒトラーを生んだ国。
その地でアンネ・フランクをクラウンとして演じるというのは、想像も及ばないほど重大なことです。
苛酷な状況にありながらもユーモアとしなやかさをもって生きるアンネを、クラウディアは描きました。
長く長く、鳴り止まないカーテンコールの中、クラウディアはステージの真ん中には立たず、そこにアンネの日記を置いて、その本に向かって静かに拍手を送りました。
観客の中には涙を流しているひとも多くいました。
そのクラウディアが、私にこんなことを言いました。
「クラウンは、ただ面白いだけじゃないのよ。シャーマンにもなり得ると私は思うわ。クラウンというのは、そういうものよ。」
クラウディアは元々は警察官として働いていたそうで、その後クラウンに転職したという異色の経歴の持ち主でした。
世界中から集まった、さまざまな経歴の女性クラウンたち。
それぞれの作品と、それぞれのバックグラウンド、それぞれの信念。
その豊かさと広がり、多様性に触れて、ますますクラウンという大海のなかで上下左右もわからなくなるような、無重力のような感覚を味わった10日間でした。
熱い思いを語り合える国も言葉も超えた仲間たち
女性クラウンたちはいつでもどこでも賑やかでしたが、その中でも特に私が仲良くなったのは、ロシアから来たKLAVY clown trioでした。
彼女たちとはバーでも呑み、ホテルの部屋でも呑み、翌年に来日したときも呑みました。
それはもう明るくて、前向きで、エネルギーに満ちあふれており、そして何とも言えない可愛らしさがあるのです。
たとえステージ上では無言であっても、クラウンたちは実によくしゃべります。(もちろん無口なクラウンも存在しますが。)
ロシア語、英語、めちゃくちゃ語を駆使しながら、彼女たちが「もっと英語が話せたらいいのに!言いたいこと、いっぱいあるのに!」と言っていたのが印象的です。
ロシアと言えば演劇大国であり、サーカス文化も有名です。
その国で「いま」クラウンとして活動している一流の女性たち。
そのうちのひとりは息子をもつお母さんであり、ひとりはお腹に赤ちゃんがいました。
私たちは舞台のこと、子どものこと、政治のこと、未来のこと、いろんなことについて夢中で話しました。
この当時、危険な緊張状態にあったロシアとトルコの女性クラウン同士が、互いに親しく話し、相手ではなく自身の国の政府を批判しつつ、「爆撃では何も解決しないのよ」と繰り返していたことも忘れられません。
クラウンという仕事に人生を懸ける情熱と誠実さ
また、ブラジルのクラウンでプロデューサーでもあるマヌエラから、インタビューを受けた日もありました。
様々な国の女性クラウンたちにインタビューをし、ドキュメンタリー映像を作るとのこと。
日頃は陽気なマヌエラですが、クラウンに関する質問はとても深く、難しいものもありました。
海外でのインタビューではよく「女性アーティストであることについて」や「女性クラウンと男性クラウンの違いは?」などの質問をされるのですが、国内にいるとあまり考えないようなこうしたことについて、海外では自分の考えを明確に示す必要に迫られることが多くあります。
同時に、海外では私は日本人であり、女性であり、アーティストであるという、圧倒的なマイノリティであることも痛感します。
「ブラジルでは女性クラウンが活動をはじめた当初は、そりゃもう厳しい状況で、男性たちから締め出しにあったのよ」とマヌエラは話してくれました。
彼女はクラウンという仕事に人生を懸けており、その情熱と誠実さに私は強く感動したものです。
マヌエラは自分のサーカスや、クラウンのバスまで持っており、ブラジルの女性クラウンたちの活動を広げるために熱心に動いています。
私もぜひいつかブラジルにも行ってみたいなあと思っています。
ああ、やはりクラウンについては書いても書いても書ききれない!
また次週につづきます。
皆さま、あたたかくしてどうかお元気で!
少しでも明るい笑いがそばにありますように。