こんにちは!
ザ・猛暑お見舞い申し上げます!
友達からビールが1ケース届いて、とっても喜んでいるヤノミです。
セミもここぞとばかりに我が世の夏を謳歌していますね。天晴れ。
さて、今回も大人だからこそ味わえる舞台芸術をご紹介したいと思います。
日本ではまだほとんど知られていない、ストーリーテリングの魅力について。
Let me tell you!
語りだけで観客を魅了するストーリーテリング
私がアメリカやカナダのフリンジで出会ったジャンルのひとつに、ストーリーテリングがあります。
文字通り「物語る」ことです。
広い舞台の上で、基本的にセットも小道具もなく、衣装も普段着、照明や音響効果もほとんど使わない、非常にシンプルなソロショーです。
ストーリーテラーと呼ばれる彼らは、主に自分が実際に体験した実話をおよそ60分かけて語ります。
幼い頃の出来事や、最近の旅先での出来事、恋愛話から仕事や家族、闘病の話に至るまで、その内容は自由ですが、総じてプライベートなテーマです。
私が初めて長期ツアーを行った2010年当時、このストーリーテリングが流行とも言えるほどの大人気で、フリンジには数々の大スターが生まれていました。
私が兄と慕うマーティン(画像)は、天才ストーリーテラーと呼ばれており、彼のショーは飛ぶようにチケットが売れ、いくつものアワードを受賞し、5つ星の劇評をじゃんじゃんもらっていました。
友人がマーティンのショーをこんな風に表現したことがありました。
「彼は観客に対してまるで親友のように語りかけるんだよ。リビングのカウチでくつろぎながら、『君だけに俺のプライベートな話をするけどさ』って感じでね。」
【'Martin Dockery: Delirium' by Martin Dockery】
長い腕や大きな手をめいっぱいに使いながら、よく響くいい声でリズミカルかつドラマティックに語るマーティンの物語に、観客は時に大笑いし、時に驚愕し、その渦に気持ちよく呑み込まれていきます。
何もない舞台であるにもかかわらず、観客は彼が語る世界を色鮮やかに観ることができ、彼の感じたこと、考えたこと、その感動を自分のことのように追体験するのです。
上の画像のTJも、フリンジで知らない者はいない大スターです。
マーティンのスタイルとは対照的に、TJはどちらかと言えば静かに淡々と語ってゆきます。
彼の知性と誠実さ、そのことばの選び方、物語の構成はいつも観客や批評家を唸らせ、そして泣かせます。
たとえばある演目では、子どもの頃の体験に始まり、大人になってから受けたカウンセリングやヒーリングの神秘的な体験まで、家族にすら話せないようなプライベートな内容を、TJは観客に丁寧に差し出します。
マーティンやTJの凄さというのは、毎年このストーリーテリングの「新作」を上演する点にもあります。
決して「たまたま変わった人生で、面白いネタがあった」一発屋ではなく、まったく別の話を毎年毎年、10年以上にもわたって生み出し続けているのです。
彼らがいかに自分の人生を丁寧に真剣に、繊細に感じ取りながら生きているかが想像できます。
そしていかに独自の視点を持っているかを。
余談ですが、TJはどことなくうちの弟に似ているため、私は彼にもとても親しみを覚えるのです。
彼は村上春樹の大ファンで、いつだったかも私が新刊の話をしたところ、「いいなあ、その新刊まだ英訳出版されていないんだよ。早く読みたいなあ……!」と言っていました。
独自の主観性と、ユーモアを含むクールな客観性が光るストーリーテラーたち
女性のストーリーテラーにもたくさん出会いました。
小学生の頃に自分が遭ったいじめについて、面白おかしく語ったひと。
高級レストランでアルバイトしている自分の視点から、社会について語ったひと。
貧困の人々を援助するフードバンクでの活動を語ったひと。
インドからアメリカに移住した家族の歴史について語ったひと。
画像のアマンダは、病気の妹に自分の腎臓を移植したという大きな手術について語りました。
私は彼女のこの演目にとても胸打たれ、ストーリーテリングの素晴らしさを改めて感じたものです。
上にいくつか挙げたように、ストーリーテリングにはプライベートかつ重い内容のものも少なくありません。
しかし、ほとんどのストーリーテリングは笑いに満ち、明るく生き生きと進んでいきます。
辛い出来事や悲しいことについて、ただ重く暗く語るのではエンターテインメントとは言えません。
タフな独自の主観性と、ユーモアを含むクールな客観性、語り手/演者としての力量や熱量があって初めて魅力的なストーリーテリングとなるのです。
ストーリーテリングは「超ミニマムな舞台芸術」
アーティストはそもそも存在そのものが社会的マイノリティではありますが、ストーリーテラーの中には、身体障害者やLGBT、性暴力などの被害者、人種や宗教によって迫害を受けたひとたちなどのマイノリティも多くいます。
自分の体験や想いを、劇場という空間で肉声で語る。
舞台にひとりで立ち、観客にダイレクトに伝える。
ストーリーテリングは、間違いなく超ミニマムな舞台芸術のひとつなのです。
すべての人生は、語るに値する。
すべての物語は、耳を傾けるに値する。
実は卒論のテーマが奇しくも「ストーリーテリング」だった私。
ストーリーテリングの持つ魅力と価値は、年を追うごとに増していくばかりです。
大好きなストーリーテラーも多すぎて、ご紹介しきれません!無念……。
あなたもちょっと、自分の物語を誰かに語ってみたくなりませんか?
日本でももっと、こうしたミニマムな舞台芸術が広がればいいなあと思います。
今週もおつきあいありがとうございました。
ちょっと真面目な感じになっちゃったけど、まあいっか。
たいていふざけて生きているから、たまにはね!
また来週、お会いしましょう〜!
Stay safe and happy!